デプン大僧院の創立
文殊菩薩を救主となされた偉大なる法王、ジェ・ツォンカパ大師(1319-1419)の直接の弟子には無数の大学者や大成就者がいらっしゃった。そのなかでも天空にも届く偉業をなされた「四人の偉大なる息子」と呼ばれているのなかのお一人に、至高の知恵者で百巻の仏典に通暁していたと伝承される、ジャムヤン・チュージェ・タシーパルデン('Jam dbyang chos rje bKra shis dpal ldan)という人物がいる。彼によって第七ラプチュン火猿年、西暦1416年に仏典の講義と成就との十万の河を一つに集めた大海の如き、このパルデン・デ・カル・プンパ大僧院(デプン僧院 dPal ldan 'bras dkar spung pa'i sde)は建立された。
タシ・ゴマン学堂の創立
その後間もなくこのジャムヤンチュージェ法師の御業績により、ありとあらゆる場所から、解脱を追求する仏弟子達が群がり、それは蓮華の咲く湖畔に雁の群れるが如く、自然と集ってきた。僧院全体のラマ、そして僧院長にはジャムヤンチュージェ御自身が就任し、講師・阿闍梨としてはドゥンタクパ・リンチェン(Dung grags pa rin chen)が就任した。
れ以外にも大学者レクデン等をはじめ七人の講師・律師が弟子達を指導なさっていた。これに基づき最初にゴマン学堂が成立し、その後、ロセルリン(Blo gsal gling)、デヤン(bDe yangs)、ドゥルワ('Dul ba)、ガクパ(sNgags pa)、ゲーパ(rGyas pa)、シャクコル(Shag skor)という学堂が順にできていったのである。このような学堂が創立されたことにより、戒律や仏典の解説、さらには密教の修行など仏教のあらゆる部門を修養する場所として、「パルデン・デプン僧院」という名称はチベット全土のみに留まらず、あらゆる場所に名高きものとなった。
「タシゴマン」の名称の意味
過去の偉大なる方々による伝承によると、本学堂の「タシ・ゴマン・ダツァン」(吉祥なる多門の僧院 bKra shis sGo mang Grwa tshang)という名称で、まず最初に「タシ」(吉祥)とあるが、これは「他の学堂よりも先に創立された点で吉祥である」という意味であり、他の学堂が本学堂から分派して成立したことを証明している。「ゴマン」(多門)の意味は、「明晰な無垢なる正理によりインド・チベットのあらゆる仏典の難解かつ重要な箇所の数千もの多き門を開示する場所」ということである。現在のチベット亡命政府がセラ・デプン・ガンデンというゲルク派三大学問僧院をインドに復興した際に、まず最初にゴマン学堂を復興したのもまさにこうした理由からであろう。吉祥なる四部の円満が産み出される入口であり、かつ数千の多き門を開く場所、そのようなものとしてタシ・ゴマン学堂は呼ばれている。
本学堂は偉大なるジャムヤンチュージェ・タシーパルデンにより、第七ラプチュン火猿年、西暦1416年に建立された。初代学堂長は、講義を行う律師であり、ジェ・ツォンカパ大師の直接の弟子であり、多くの教説に通暁した八人の持法者のなかの一人である、チャンリン・ドゥンタクパ・リンチェン(Byang gling grags pa rin chen)である。